ONE PEACEにおけるドルトンの仮説
〜バカにつける薬は本当にないのか〜


 世間一般にドルトンというと原子説をとなえたジョン・ドルトン(1766〜1844)をさすことが多い。工学部応用科学化出身の私としても、ドルトンの原子説は一般常識として多くの日本人に理解しておいてほしいところである。ちなみにドルトンの仮説は次のようなものだった。

・物質は、原子と呼ぶそれ以上分割できない粒子からなる。
・同一元素の原子は、同じ性質(大きさ、形、質量)を持っているが、元素が異なれば性質も異なる。
・化学反応は単に1つの化合物と別の化合物との原子の入れ替えから成り立っている。しかしながら、化学反応によって個々の原子は変化しない。

 この仮説は後に正しいことが分かり、現在の化学でも法則として使用されている。
 しかし、今回扱うドルトンは原子説とは何の関係もない。
 週間少年ジャンプに連載中(2005年1月現在)の人気漫画『ONE PEACE』に出てくる旧ドラム王国の兵隊のドルトンの話である。彼らの国、ドラム王国は医療先進国でありながら、王が医師を独占するという圧制をしいていた。そして、それに反発した一人の医者が謀略により死んだ時、このドルトンが愚王ワポルに対して言ったのが下の言葉である。

 このイカれた国を救おうとした、たった一人の男が今死んだのだ!他の誰もが国を諦め絶望する中で‥‥!こともあろうにそれを救おうとした優しい医者が今死んだのだ!
 この国の辿るべき道は見えた‥‥滅ぶことだ。
 我々が国民の上に立っている限り、国を立て直すことなど出来るものか!この国の医療がどこまで発達しようとも‥‥!いつまで薬の研究を続けようとも
 バカにつける薬はないのだから!!!
(集英社『ONE PEACE』第16巻より抜粋)

 私は以前からバカを治療するための薬が開発されたり、程度のひどいバカを病院で治療する日がいずれ訪れるのではないかと淡い期待をいだいていた。そんな時代が来れば、自分の悪い頭もきっと直るに違いないと、科学の進歩を待ち望んでいた。しかし、このドルトンの言葉によって私の希望はもろくも崩れ去った。
 『医療先進国』の国民が「バカにつける薬はない」つまり、医療行為でバカは直らないと言い切ったのだ。バカを治療することが出来ないと知った私の気持ちが分かるだろうか。しかし、そのみも蓋もない言葉の中に一掴みの希望があることに私は気がついた。ドルトンは確かにそういっているが、他の国民が同じ事を言っている場面はないし、マンガの中にその証明もない。つまり、ドルトンの発言は証明された事実ではなく、ドルトンの経験則による仮説である可能性があるのだ。

 そこでこのドルトンの発言を仮説だとして、その反例をここで考えてみようと思う。

 まず最初に『バカ』の定義である。使用されている場面から、このときの『バカ』というのが勉強が出来ないというような意味でないことは明白である。この場合は他人の気持ちを考えない行為や、先のことを考えずにその場限りの気持ちで行動するというような意味、いわゆる愚行がそれにあたるであろう。愚行が多い人間を『バカ』と呼び、その『バカ』の愚行を抑制することが『バカを直す』という医療行為として話を進めていく。

 こうして定義すると、「ONE PEACE」のなかに出てくるワポルは他人の気持ちをまったく考えず、自分勝手な行動をとるバカの代表だということが分かる。このワポルを真人間に戻せるような方法を提案することが出来れば、それこそが『バカを治療する』もっとも薬になるというわけだ。

 ところで、前述の「他人の気持ちを考えない行為や、先のことを考えずにその場限りの気持ちで行動する」という言葉になにか感じた人は多いのではないだろうか。私自身は自分の幼少期はこんな性格だったように記憶している(今もそうかもしれないが)。私以外の多くの人たちも、小さい頃はこのような行動をするバカだったと思う。自分は生まれた頃から他人を思いやり、よく考えて行動していた、という人もいるかもしれないが、そういう人は周囲の幼児をよく観察してほしい。
 多くの幼児はここでいうところの「愚行を繰り返すバカ」に他ならない。しかし、それがだんだんと他人を思いやるようになり、大人になる頃にはバカから卒業している。ならばその成長の過程にあるものを考えれば、バカを治療する方法もおのずと分かる。
 幼児の愚行を抑制していくもの、それは学習と教訓だ。最初幼児は母親から怒られることにより、どのような行動をとってはいけないかを学んでいく。しかし、少し成長して周囲に眼が行くようになると自分の行動によってどういう結果がもたらされるのかを理解するようになる。自分の心無い言動によって人が悲しむのを見て心を痛め、後先考えない行動によって周囲が傷つくのを目の当たりにすることになるのだ。自分や身近な人の悲しみによって、人は成長していくのである。そしてそのときに感じる後悔の念は大きければ大きいほど強く心に刻み付けられる。

良薬は口に苦し、教訓は胸に痛し

 である。そしてこの教訓によって愚行がへるという過程は、個人のみならず国に対しても働いている。今から60年前、第二次世界大戦を引き起こした日本、ドイツ、イタリアの3つの同盟国は敗戦後の苦難を教訓として、その後戦争を起こすのをやめた(日本は最近その教訓が薄れているが)。そして、その技術を産業に利用することで、あっという間に先進国の仲間入りを果たしたのだ。国土が焼け野原になり、多くの国民が死ぬというこれ以上ない教訓によって学習したわけである。

 しかし、せっかくの教訓から何も学ばない者もいる。アメリカワポルだ。ベトナム戦争で圧倒的な物量を送り込みながら、現地の住民の強い反発により実質上の敗戦を喫したアメリカ。他国に攻め込むという行為が割に合わないことをいつまでたっても学習していない。その後も色々な国にちょっかいをかけ、最近ではイラクを占領しようとしている。相手の武器を取り上げてから戦争を始めるという暴挙により、戦争には勝ったものの、未だに現地民の反発によって『民主化』とやらはいっこうに進んでいない。
 そしてワポル、国民が泣こうと死のうとどこ吹く風。自分が楽しければ他人などどうでもいいという愚王は、一人の医者の死という教訓からも、ドルトンという家臣の忠告からも何も学ぼうとしない。
 これは困った。バカを治療する特効薬と思われた教訓が、バカの代表であるワポルには効果がない。他人の痛みに何も感じない自分勝手には教訓は効かないということになってしまう。
 いや、一つだけある。他人がどうなろうと心を痛めない人間にも後悔や自責の念を感じさせるものが。それは自分の痛みだ。どんな自分勝手な人間であっても自分の痛みだけは感じる、むしろ自分勝手であるからこそ自分の痛みに対しては人一倍敏感なはずである。たとえワポルであっても例外ではないはずだ。自分自身が身体や心に痛みを感じればどんな人間でもその行為が良くないことだと思い知る。
 ただしワポルのバカは少々の痛みでは直りそうにない。骨折したくらいでは他人のせいにして結局反省しない事だって考えられる。ならば自分勝手でわがままなワポルでさえも、自分の非を認めて自らの行動に後悔するような強い痛みとは何だろう。
 察しのよい読者ならすでに予想がついているだろう自分の死だ。人が感じる痛みの中で最も強いと思われる『死』。自分の行動によってそれがもたらされると理解すれば、さしものワポルも考えを改めるだろう。というか、それくらいしないとワポルが改心するとは思えない。

バカは死ななきゃ直らない

 のである。少々不本意な結果にはなったが、バカは治療できるという結論に至った。ドルトンの仮説は間違っていたということである。

 しかしドルトンの仮説が誤りであったからといって、ドルトン自身のすばらしさには何の影響もない。王の側近という立場で、甘い汁を吸おうと思えばいくらでも吸える状態にありながら、真に国と国民のことを考えていたのはドルトンである。敵わないと知りながらも王を叱責し、何とか更正させようとしたのも彼である。国から逃げた王ワポルが戻ってきた時に、爆弾で刺し違えても止めると傷ついた身体で立ち上がったのはドルトン一人であった。やがて来る王を決める選挙では、新国王としてドルトンが選ばれるであろう事を私は疑っていない。

 願わくばドルトンに伝えたい。一人の医者が作った、桜のようなピンクの雪を降らせる薬。鮮やかに舞うピンク色の雪によって、一度は死んだ国がよみがえったように、バカも治療によって直るのである。この薬を作った藪医者ヒルルクは言った
「おれはいずれ、医学でこの国を救ってみせる!!」
 国を救うことが医学であるなら、バカを救うこともまた医学である。国は今、まだようやく息を吹き返したばかりである。これから本格的に国を立て直すにはよりいっそうの治療が必要である。そして治療をする医者はドルトンを筆頭とする国民一人一人である。かつて医療先進国と呼ばれ、今は国の名前さえ決まっていないこの国はいつの日か「全ての病を治す国」と呼ばれるようになるだろう。そのとき、おそらく国王となっているドルトンに一つの言葉を贈りたい。

人を幸せにするための学問すべてを医学を呼び
人を幸せにするための行為をすべて医療と呼ぶ



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