旅立つ友へ
立春の、寒明けきらず発つ友に、風花のせておくるはなむけ



 これを書いている今日より一週間後、一人の友人が外国の大学へ行くため日本を発つ。その友人の名前はLiA嬢。基本的に固有名詞を使わない当ホームページにおいて、今のところ唯一使われている「人名」であり、当ホームページと相互リンクを張ってくれているたった一人の相手でもある(2005年2月現在)。

 このように甚だ縁浅からぬ相手だというのに、本人に伝えられるまで出発が迫っているということなどまったく知らなかった。正確に言うとだいぶ前に
「年が明けて少ししたころに向こうへ行く。」
 ということを聞いたか読んだかしていたのだが、すっかり忘れていた。我ながら失礼な話だ。
 LiAのホームページの2005年1月の日記にはプレゼントをもらったとか、お別れ会をしたといった記述があったが、それを毎日のように読んでいながら今まで何もしてこなかった。そしてこれから一週間のあいだに何かを贈るという気持ちもまったくない。

 失礼を通り越して無礼千万な人でなしと言われても仕方のない所業だが、面倒だからとかそういう理由で何もしないわけではない。一応それなりの考えあっての事だ。
 今回はこのことに関する私の胸のうちを語って、友人への餞の言葉としたい。





平たく言うと『いいわけ』だ。


 私にとって会話もしない、気にもかけないという相手は、その人が隣に住んでいても自分にとってはいないのと一緒だ。それに、たとえ相手のことを気にかけていたとしても、相手とまったくコンタクトを取らず、風聞も聞かないということになれば、その相手は死んでしまっているのとそんなに変わりがない。
 反対に連絡を取り合って相手の無事や近況が分かっていれば、地球の裏側にいようが宇宙空間に飛び出していようが、その相手は私にとってそばにいるのと同じなのだ。
 そういう見方で見れば、LiA嬢が外国へ行くということは私にとっては『別れ』にはならない。主なコミュニケーションの手段がネットを通じたものなのだから、発信源が日本から外国に移るだけで私にとっては何の変化もない。3年以上の付き合いがありながら、直接顔をあわせたのが一度しかないのだから、会えなくなるという表現も当てはまらないのだ。

 そんなわけで、私はLiA嬢に何もしなかったのだが、新生活を始める彼女にはお別れとはべつに餞として伝えておきたい言葉がある。それを記してこの文章を終えよう。



 新しいことを始める、皆がやらないことをやるというのは怖いものです。それに伴う生活環境の変化が大きければ大きいほど、それに付随する恐怖心も大きくなり、生活に慣れるまでの苦労も大きくなります。
 勉強をするために外国の大学へいくというあなたの行動は、それ自体が私にとって尊敬にあたいすることです。自分の決断に胸を張って、目標に向かって歩んでください。
 あなたが困っている時や悩んでいる時に、直接手を貸すことは出来なくても、たとえ距離が離れていて会えなくても、あなたの話を聞くことや相談に乗ることは出来ます。そしてそれはあなたの他の友人に対しても言えることです。問題を一人で抱えきれなくなった時は、日本や他の国にいる友人たちのことを思い出してください。
大学進学おめでとう。
     良い大学生活を。



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