同級生の死
死んでからの友人



 高校時代の同級生の一人が死んだ。


 彼は私と同じ高校で弓道部に在籍し、卒業後私とは違う大学に進んだが、やはりそこでも弓道部に在籍していた。
 高校時代、私と彼はお世辞にも仲がよいとは言えなかった。何かあるごとに衝突し、反目しあい、無視することもあった。私は彼のことを嫌っていたし、彼も私のことを好ましくは思っていなかっただろう。
 彼のことを嫌っていた理由を、当時の気持ちで書き表すのは難しい。高校を卒業して年月がたった今、当時のことを冷静に振り返って表現するなら、『同属嫌悪』という言葉がもっともしっくりくるような気がする。性格的なところで似通っていたところもあったし、部の中での位置、特に弓道での実力は伯仲していた。2人は同じチームになることがほとんどで、私が一番前、彼が一番後のポジションで数々の試合に出場した。
 だからこそ私と似た位置にいる彼が気に入らなかったのだろう。

 しかし、仲が悪かったとはいえ、私にとって彼の存在はとても無視できないものだった。

 高校の頃、試合で彼の的中に救われて勝った時は、自分が許せなかった。
 彼の失中のせいで試合に負けたときは、彼を許せなかった。
 嫌っている相手ではあったが、彼の弓道の実力だけは信じていた。

 お互い違う大学に進み、2人とも弓道部に入った。それから少しずつ変わっていった。
 大学1年の頃、私が出場していなかった大会で彼が優勝した。その2年後、同じ大会に出場した私はそこで優勝した。その大会のルールで、彼に負けたことはなかったから。
 大学2年では年の最後の試合で、彼のいる大学に負けた。先輩たちが涙を流して悔しがる中、私はそこまで悔しいとは思っていなかった。試合で高い的中を出していた私に対して、彼は試合にも出られなかったから。

 高校のときの嫌悪感は、大学では対抗意識になり、かつて勝たなくてはならなかった相手は、会う機会が減るにつれて、負けてはならない相手になっていった。


 大学を卒業するころ、彼が少し離れた地域に就職すると聞き、「もう彼に会うことはないだろう」と漠然と考えていた。そして、その考えは現実となった。

 彼の葬儀では、同席していた同級生が涙を流す中、私は泣くことはなかった。感情がおもてに出るほどの悲しさはなく、2度と会えないからといって寂しくもない。だからといって彼の死を受け入れられないほど取り乱していたわけでもなかった。
 棺の中の彼に簡単な別れを告げるまで、葬儀の間にいろいろな事を考えていた。彼に関係することも、そうでないことも。数日がたった今、覚えている内容はほとんどない。しかし、一つだけその中で覚えておくべき新しい思いがある。


 世間一般での定義とは異なるが、私と彼とはおそらく『友人』だったのだろう。


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