電車は1分30秒ほど遅れています
ダイヤの果てに失った命



 2005年4月25日にJR福知山線で脱線事故がおきた。それから20日間、これを書いている今日も含めて新聞に事故の事が載らなかった日はない。死亡者は100人を超え、いまだ事故があった区間は復旧していないそうだ。

 この事故の大きな原因は(現在の報道によると)1分半の遅れを取り戻すために、運転士が速度超過でカーブに入ったことにあるらしい。
 それに伴ってJRのダイヤ徹底体質への批判が高まっている。諸外国の新聞でも「そんなに時間に厳しいのは日本だけ」というような記事が多く見られるようだ。

 日本の電車というのは時間どおりに運行しているのが『当たり前』とされている。私がよく使うJRでは1分遅れていたら放送が入るし、3分遅れたら電光掲示板に表示が出る。他の私鉄であっても事故やトラブル以外で3分以上遅れることはめったにない。
 そして多くの日本人は電車が遅れないことに疑問を持たない(持っていなかった)。だから少しでも時刻表より遅れていれば、駅員や会社へ文句を言う人がいるし、鉄道会社もその苦情をなくすためにより一層ダイヤの徹底に力を入れてきた。


 私の場合、あることがきっかけで日本の電車が誇る時間の正確さというのは世界で類を見ない物だというのを早いうちから知っていた。具体的に表現するなら1994年のことだ。この年に大きな列車事故などがあったわけではない。あるテレビ番組の中で、日本の電車に関するエピソードのようなものが流れただけだ。
 その番組名は『七つの海のティコ』(世界名作劇場)。『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』に代表されるフジテレビのアニメの一つだ。その中でこんな話があったのだ。



 普段は船の上で暮らしている一行が日本で観光(?)をしている。新幹線の時間が迫っているのにのんびりと蕎麦を食べている男(イタリア出身)を周りの人間がせかすが、男は慌てずこう言った。

「汽車が時間通りに出発する国がどこにある」

 日本の新幹線は安物の時計よりも正確である。1分遅れでホームに着いた一行はちょうど出て行く新幹線を見送ることになる。行ってしまった新幹線が1本前の電車だったのではと考え、駅員に電車が遅れているのか聞くと

「30秒も遅れて出発してしまい申し訳ありません」

 と駅員は深々と頭を下げる。
 これを聞いた別の男(イギリス出身)は感激してこんなことを言う。

「30秒の遅れを謝っておられるとは素晴らしい。私のいるべき国はここです」




 アメリカやイタリアであればそのまま小咄に使えそうなネタだ。
 しかし、日本では本当にこれと同じような光景が見られる。福知山線の事故でもこういうダイヤを徹底させようとする雰囲気が社内にあったからこそ、運転士は遅れを取り戻そうと必死にスピードを上げたのだろう。


 そして、その犠牲はとてつもなく大きな物となってしまった。


 遺族の怒りの念は推し量ることが出来ない。
 しかし、守れないほどの過密なダイヤは改善すべきだと思うが、ダイヤの正確さはこのまま守ってほしいと私は思う。事故が起こったことで批判されてはいるが、それでも電車が時刻表を守るのは『当たり前であるべき』だと思うのだ。
 私は高度成長の一端を担っていたのは電車に代表される時間へのシビアさだと思っている。ある期限を決めたら最大限の努力をしてそれに間に合わせる。待ち合わせの時間に遅れるというのは仕事への責任感が足りないからだ。
 こういう厳しい慣習があったからこそ、国民の多くが餓死の危機にあった二次大戦のあと40年程度で先進国といわれるまでになったのだ。

 時間を守るために人が犠牲になることは許されるべきことではないが、だからといってせっかくある正確な時間を「他の国はもっとルーズだから」というだけで失くしてほしくはないのだ。JRや他の私鉄には、遅れを許さない体質ではなく、遅れる心配のないダイヤを作ってほしい。たとえこんな事故が起こった後であっても、私は遅刻が嫌いだから。


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