お役所仕事な神の真実
七福神の個人情報



 「もういくつ寝るとお正月。」正にそんな時期である。最近では少なくなってきているが、お正月というと何かと注目されるのが「七福神」だ。
 縁起のいい初夢を見るために、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に入れるということもあるし、台所に大黒様のお供えを置いたり、お正月に関連したCMに出演したりとこの時期だけは大忙しである。そして七福神を祭っている神社でも初詣客がいっぱいになる。

 しかしこの七福神、どれほど正確に知られているだろう?私の周囲では7人すべての名前を言える人さえも少ない。
 一般的に見て、幸福を司る神が7人もいてそれがセットになっているというのはかなり珍しい物だと思う。その上この7人は本来、別々に祭られている神でそれぞれには縁もゆかりもない。
 なぜ7人がまとめられているのか、それぞれの神に願うべきことは何か、実際のところ彼らは何者なのか。順番に語っていきたい。


※ここより下は眉唾物の内容、私の勝手な解釈なども含まれています。もともと七福神については複数の説があり、絶対的な真実はないものです。それを理解したうえでお読みください。


七福神
 まず全体のことからだ。七福神というのはいつからいるのか、どのようにして広まったのかという辺りから話をしよう。

 7人の神を集めたいわれは「禅宗の僧侶が中国の故事『竹林に七賢人』にならって作った」とも「仏教の『七難即滅、七福即生』という言葉から」とも言われるが、この辺りは定かではない。
 だが有名になったのは天海上人が徳川家康に対し「上様は七つの徳をお備えですね。寿老人の長寿、大黒の富財、福禄寿の人望、恵比寿の正直、弁財天の愛敬、毘沙門の威光、布袋の大量。この七神には七難即滅・七福即生の功徳があります。」と言ったことからだと思われる。
 では、いつから七福神は存在したのか。
 文明年間(1469〜87年)の京都に七福神を装った盗賊が出没したという記録がある。ざっと調べた中ではこれが最も古かった。室町時代には存在したということだ。
 この時代といえば応仁の乱から戦国時代が始まる頃、戦乱による世の中の混乱と商業が形作られた時期であり、福の神信仰が生まれやすい状態になっていたのだ。そんな中でそれまでの護国豊穣をうたう神よりも、庶民の個人的な願いをかなえてくれる福の神に人気が出たのだろう。

 昔からの商売の神である恵比寿、大黒に当時人気の高かった弁財天、さらに毘沙門天、布袋を加えての五神を作った。さいごに福禄寿と寿老人を加えて今の七福神を作ったのである。
 では、ここからは七福神の一人一人について説明していこう。


恵比寿〜たった一人の日本人〜
得意分野:漁業、商売繁盛、清廉度量、産業隆盛
 七福神の中で唯一純国産の神。伊弉諾尊いざなぎのみこと伊邪那岐命いざなみのみことの三男、夷三郎がモデルといわれる。
 『えび』という文字が入っているというだけで安直に漁業の神にされてしまった経緯を持つ。鯛を持ち歩いているのもその影響だと思われる。釣竿を持っているのは、網を使って一気に漁をするのではなく、先を見越して竿で少しずつ魚を取るという意味らしい。
 漁村などでは漂着した木片や、海岸の丸い石を御神体としてあがめたりもしている。
 全国の恵比寿神社で行われる商売繁盛の祭り、『十日恵比寿』はあまりにも有名。


大黒〜死を司る暗黒の神〜
得意分野:厨房守護、子孫繁栄、裕福蓄財、福徳開運
使い魔:
 もとは古代インドの暗黒の神『摩訶迦羅マハーカーラ』、'90年代に某宗教テロで有名になったシヴァ神の夜の姿とも言われる。不老不死の秘薬をもっていて、願う物の血肉と交換にそれを分け与えるというちょっと残酷な神だ。死を司る性格から仏教で戦闘の神になり、なぜか日本では台所の神にされてしまう。
 名前の読みが同じだったことから大国主命(「だいこく」と呼ぶこともある)と混同され、現在の姿は大国主命とほとんど同じになっている。
 何でも入っている大きな袋と、振れば何でも出てくる小槌は、無尽蔵の財宝と富の象徴だ。サンタクロースはきっとこれがシルクロードを渡ったのだと(勝手に)思う。
 しかし被っている頭巾はそれ以上上を見ないこと、乗っかっている二俵の俵は二俵で我慢しろという『知足』の教えを表している。
 矛盾と混乱の入り混じった神である。


弁財天〜争奪戦の末勝ち取った紅一点〜
得意分野:弁舌才智、芸術、愛敬縁結び、愛嬌昌財
使い魔:
 古代インドの川の神サラスヴァティが元で、本来は『弁才天』と書いていた。字の通り弁舌、音楽をはじめとする芸術の神だったのだが『財』の字を当てて財産の神という性格も加えられた。
 実はこの弁才天の座、もともと天細女命あめのうずめのみこと(天照大神が岩戸にこもったとき、岩戸の前で踊った女命)がいた。しかし京都で不人気だった(多分裸で踊ったから)ため、当時人気のあった弁財天が代わって入ったのだ。しかもこ天細女命と交代するさい、同じ女神の吉祥天とその座を争っていたという経緯もあり、かなり勝負強い神でもある。
 ちなみによく描かれる裸体に琵琶を持つ姿は市杵島姫命いちきしまのひめのみことの姿で、本来は8本の腕に弓・刀・斧・羂索・箭・三鈷戟・独鈷杵・輪をもつ姿で、白鳥や孔雀を従えている。
 縁切りで有名な江ノ島弁財天、ここには縁結びの赤い絵馬が用意されている。絵馬を吊るすと縁が切られるのか、結ばれるのか。なかなかに怖い賭けである。


毘沙門天〜コイツも本当は悪い神〜
得意分野:勝負武闘、仏教守護、勇気授福、智慧明瞭、財宝授与
使い魔:
 暗黒界の悪霊の主だったはずが夜叉、羅刹を率いて帝釈天に従う四天王の一つにされてしまう。どちらにしても物騒な神である。日本に来る頃には仏教の守護神ということにされ、その性格から武闘の神としての側面もある。多聞天とも呼ばれて知恵の神としても信仰され、文武両道の元祖。
 勇気を持って悪に立ち向かえば、毘沙門天が財をもたらすと言われている。
 ちなみに弁財天と七福神の座を争った吉祥天は毘沙門天の妻である。幸福の神、吉祥天の影響で毘沙門天も福をもたらすとされている。


布袋〜実在していた人物〜
得意分野:人格円満、笑門来福、芸道富有、夫婦円満、大量
 実在の人物とは言っても、その正体については諸説ある。一番有力なのは10世紀ごろの中国に実在していた契此かいしという人物だ。彼は常に大きな布の袋を持ち歩き、日用品や施しをすべてそこに入れていたことから布袋和尚と名づけられたという。
 存命中から弥勒菩薩の化身と言われ、死後に神格化された。
 鎌倉時代、水墨画の流行で禅画のモデルとして始めて日本に入ってきた。それが後にどういう縁があってか七福神の一角におさまることになる。
 資料が少ない謎の多い神である。


福禄寿〜リストラ候補1人目〜
得意分野:人望福徳、安全健康、方位除災、延授福楽
使い魔:鶴、亀
 マイナー老人2人組みの片割れ。頭が長くて鶴や亀を連れているほうだ。
 中国道教の南極老人星の化身だというが、詳しいことはわからない。。正確には神ではなく仙人。後述の寿老人と同一人物という説が有力である。
 日本に来た室町時代当時は画題として人気があったため、七福神に入れられた。しかしそもそも信仰の対象ではなかったので、神としての人気はまったくない。
 人気もなく神ではなく仙人だからということから江戸時代にはリストラの危機にあっている。神ではないなどと言ったら布袋は仙人どころか普通の人間である。江戸中期の書物には「福禄寿の代わりに吉祥天を加えてもよい」と書かれていたりする。微妙なところで七福神に入れない吉祥天。不憫である。
 見ての通りの長寿の神で、一説によると齢は一千万という大長寿らしい。さすがは星の化身。寿命も恒星レベルだ。


寿老人〜リストラ経験者〜
得意分野:延命長寿、身体健全、富貴繁栄、学問智恵
使い魔:鹿
 マイナー老人2人組の相方。白髭で鹿を連れている。前述の通り福禄寿と同一人物という説が有力だ。
 年齢1500年以上という玄鹿を連れていて、その鹿の肉を食べると数百年生きられるらしい。寿老人に長命を願うより現実的な気がするのは気のせいだろうか。
 福禄寿と同様、神社に祭っても単体ではまったく客を呼べないため江戸時代にリストラの憂き目にあっている。享保年間の書物ではその名前が消され、かわりに猩猩しょうじょう(猿に似て酒を好む想像上の獣)の名前が載っている。
 実際にリストラされただけでなく、交代で入った相手が妖怪(正確には霊獣)である。寿老人も浮かばれない。神ではなくてもせめて仙人か聖人と代えればいいものを。
 人事部の人選ミスにより、猩猩は人気が出ず現在では七福神の一員として復帰している。

 調べてみると七福神といえども紆余曲折はあるものである。その中にあるのは庶民の信仰の方向性であったり、商業主義であったりと様々だ。伝統、伝説といった言葉が聞かれなくなった昨今、お正月の間だけでもそういう事物の歴史に思いをはせてみてはいかがだろうか。

※このページに使用した七福神の絵は松尾町商工会 フリー素材集よりお借りしました。


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