私は写真が嫌いだ
こうまでカメラを嫌うワケ



諸君、私は写真が嫌いだ
諸君、私は写真が嫌いだ
諸君、私は写真が大嫌いだ

シャッター音が嫌いだ  私に向けられるカメラが嫌いだ  
フラッシュをたかれるのが嫌いだ  集合写真が嫌いだ
隠し撮りされるのが嫌いだ  ビデオに撮られるのが嫌いだ
証明写真が嫌いだ  撮らせてくれと言われるのが嫌いだ

平原で 街道で 塹壕で 草原で 凍土で 砂漠で 海上で 空中で 泥中で 湿原で
この地上で私に向けられるありとあらゆるカメラが大嫌いだ

列をならべたカメラの一斉フラッシュが音と共に私を捕らえるのが嫌いだ
撮られた写真を見ず知らずの他人に見られた時など鳥肌がたつ

断りもなく人にカメラを向ける人間が嫌いだ
「写真くらいいいじゃないか」と考えのない笑顔でシャッターを切られた時など殺意を覚える



 あまりマンガのパクリを続けていても仕方がないので、このへんで。
 自己紹介にもあるし、上にも書いたように私は自分の写真を撮られたり、それを見たり見せられたりするのが嫌いだ。断っておくが、自分がカメラを持って何か(誰か)の写真を撮るのは嫌いではない。自分が『撮られる』側に回ると途端に嫌いになるのだ。
 世の中にはカメラを向けられるのが苦手という人は結構いる。しかし、私のようにはっきり「嫌い」という人はほとんどいない。そのせいで、周囲の人にはなかなか理解を得られず苦労していて、時には喧嘩のようになってしまうことまである。

 ここまで写真が嫌いになったきっかけについてたずねられる事はよくあり、高校の頃から数えて10人以上に同じ事を聞かれたはずだ。しかし、あまり人に話すようなことではないという事と、その場の雰囲気として話しにくかったからということで、毎回はぐらかして現在にいたっている。
 こういったわけで今まで誰にも話さなかったこの話であるが、べつに『話したくない』というわけではないので、この機会に公開しようと思う。この話を読んだ人に対しても、口止めする気はない。ただ、これを読んで「Yangの写真嫌いにも理由があったんだな」と感じ、私にカメラを向けないようにしてくれると幸いだ。



 この話は私が中学校に通っていた頃のことだ。
 私の中学校には、専属の写真屋さんがあり、クラスでの集合写真や行事ごとでの写真を一手に頼んでいた。遠足や修学旅行の時には、その写真屋さんも同じ行程をついていき、それぞれのポイントで写真を撮影するという形をとっていた。

 春の遠足から帰ってきてから約2週間後、写真屋さんが撮った写真を販売するために廊下に見本を張り出したときに異変が発覚した。
 廊下に張り出された数百枚の写真の中に10枚ほど、おかしな写真が混ざっていたのだ。ある写真は何かでこすったように一部分がかすれ、ある写真では生徒の片足のひざから下が消えて何もないかのように背景が写っていた。またある写真では画面の3分の1ほどが真っ白になっていた。
 その写真に共通していたことが一つあった。そのすべてに私が写っていたのだ。消えたりかすれたりしている部分の多くは私の身体やその近くで、私が写っていてなおかつ正常な写真は3枚しかなかったことを覚えている。そのうち2枚はクラスの集合写真だったので、実質私が活動している写真は1枚しかまともなものがなかったということだ。
 生徒が心霊写真と騒ぐ中、誰かがそれを指摘するまでほとんど時間はかからなかった。何も知らない人が見れば気付かない、私の班の集合写真。その写真の中に一緒に写っていたはずの私の姿はなかった。何も言われなければ4人の班員が写っているだけの写真。しかし、5人目の班員であるはずの私の姿はどこにもなく、私がいたはずの場所には何事もなく背景が写っていた。
 私を含め、班員は口をそろえて「一緒にYangもいたはずだ」と証言し、私が入った写真は心霊写真になるという噂は学年中に広まった。幸いに、その噂によって何かが変わったということはなく、「不思議だ」とか「すごい」と言われただけで一月もたたないうちに話に上ることはなくなった。

 そして夏、今度は宿泊体験ということで泊りがけでの校外学習という機会が巡ってきた。そのときも普段同様に写真屋さんがついて来ていたが、保護者の希望もあって生徒もカメラを持ってくることを許されていた。
 前回の遠足で「心霊写真」を生み出した私は、周囲の多くの生徒から写真を撮られることになった。そのときは私自身も面白いとしか感じていなかったので、写真に撮られることを拒むこともなく、むしろ積極的に写りにいった。他のクラスの生徒や、クラスでもあまり話すことのない生徒にまで写真をねだられて、人気者の気分を味わって校外学習を終えた。

 校外学習での写真について結果が出るまでには1週間もかからなかった。写真屋ではなく、生徒が個人で撮った写真。そこに写っていた私の写真の多くもやはり「心霊写真」だったのだ。
 前回ほど割合は高くなかったが、それでも私の写真の半分以上が「心霊写真」と呼ばれる状態で、これは写真を撮った人もカメラも関係なく私を写した写真だけがおかしな状態になっていた。
 生徒個人の写真がほぼすべて現像から返ってきて、騒ぎが大きくなってきた頃、写真屋さんの現像が終わり廊下に写真が貼り出された。私が写った写真は少なかったが、やはり正常でない写り方をしている写真には私の姿が入っていた。その中で一番注目を集めた写真があった。
 いや、正確には写真がなかったから注目されたのだ。校外学習では普通、卒業アルバムに使えるようにクラスの集合写真を撮る。そのときの写真というのは失敗がないように2枚から3枚撮るのが普通だ。そのときのクラス写真でも各クラス3枚ずつの写真が貼り出されていた。私のクラスをのぞいて。私のクラスの集合写真だけは1枚しか張り出されておらず、他の2枚があるはずのところには空白があるだけだった。写真屋さんは
「失敗してしまったから現像していない。」
「ピンボケで見られる状態じゃない。」

 などと言って写真を見せてはくれなかった。この写真について、私を含めた生徒全員がこう考えていた。


「Yangのクラスだから心霊写真になったんだ。」


 それからが大変だった。最初は冗談半分で噂していただけだった「心霊写真」が本当のこととなってしまったのだ。学校にまでカメラを持ってくる生徒が出始めたのだ。
 私の通っていた中学校は公立の学校でありながら風紀に厳しく、ゴミ箱にお菓子の袋が入っていたら学級集会、2階の窓からゴミを捨てたら学年集会(本当)という「割れ窓理論」を実践しているような学校だった。お菓子を持ってきただけで職員室に呼ばれる学校の生徒が、カメラを教室に持ってきたのだ。この「心霊写真」騒動がどれほど大きくなっていたか分かるだろう。
 1人2人の生徒がカメラを見つかり没収され、朝の学活で「余計なものを学校に持ってこない。」という注意があったが、もちろん効果があるわけはない。

 その頃には私もいいかげん気持ち悪くなり、カメラを向けられたら文句を言うようになったが、それでもエスカレートするばかり。遠くから撮ったり、隠れてカメラを向けたり、他のものを撮っている振りをしてフレームの端に私を入れたりと手段も多様化していった。
 いつまでたっても減らないカメラ小僧に私のイライラはたまるばかり。ある日、その怒りが爆発した。

 その日の昼休み、廊下を歩いていると前から同級生が歩いてきた。同級生といっても顔を覚えているだけで名前も知らない相手だ。特に気にもせず通り過ぎようとした時、相手がすれ違いざまにカメラを出していきなり私の写真を撮ったのだ。怒りがたまりにたまっていた私は、逃げようとした相手を捕まえ殴り飛ばした。相手も起き上がり、私に殴りかかろうとしたがそこまでだった。

 先生に一部始終を見られていたのだ。

 2人別々に相談室に入れられて事情聴取だ。もちろん、午後の授業は欠席。
 普段から仲が悪かったのかということから始まり、なぜ面識もない相手を写真に撮ろうとしたのか、それだけで殴りかかったのはどういうわけか等々。春の遠足のことにまで遡って説明することになってしまいました。教師側の立場からすると、「心霊写真」なんてものを認めるわけにもいかず困ったのではないかと思う。事情聴取とお説教を終える頃には放課後になっていた。
 結局、「心霊写真」は偶然そうなっただけということにされ、写真が嫌いなYangに対して集団で嫌がらせをしていたというふうに保護者には説明された。次の日の朝、学年集会が開かれ、最近カメラを学校に持ち込んでいる生徒がいること、同級生の写真を勝手に撮るなどしていることなどが注意され、見つけ次第カメラは没収し返却しないと連絡された。個人名こそ出なかったものの、全員が私のことが原因だということを分かっていて、その連絡中にも周りからの視線を感じたのを覚えている。

 その後、さすがに学校にカメラを持ってくる生徒はいなくなり私もカメラを向けられる心配はなくなった。そしてその事があったため、秋の校外学習には新しく注意事項が加えられた。

   1、カメラは班に1個だけとする。
   2、人を写す時は必ず相手に許可を得てから写真を撮ること。


 どちらも破れば即カメラ没収という厳しい罰則が付いており、破る生徒はほとんどいなかった。この注意事項は私たちが中学校を卒業するまで、校外学習のたびに毎回確認されることになった。


 このことがあってから自然と写真に写るのは避けるようになり、中学高校での校外学習では出来る限りカメラマンをかってでるようになった。
 中学校を卒業してから、写真に写る機会が減ったからということもあって、変な写真が撮られるということはほとんどなくなった。しかし、それでもまた「心霊写真」のようなことがないかと今でも不安に思うし、仮にそんなことがもう起きないと分かったとしても、今更写真を撮られることを好きにはならないだろう。



 最後まで読んでくださった方ありがとうございます。万が一、感動されている人がいたりすると非常に心苦しいのですが、以上のことは嘘です。上の文章の中で本当のことは「私は写真を撮られるのが嫌い」という一点のみです。これを真に受けて人に話したりしないようにお願いします。回りまわってこの話が私のところまで来た場合、「嘘に決まってるじゃん。バカじゃないの?」と貶すことうけあいです。  


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